「食」は命を育み、日常に彩を添え、人生を豊かにするものです。
しかし一方で、あまりに近い「食」だから、その楽しさや大切さが軽く考えられることがあります。
「食」は、非常に多くの人々が関わっています。
まず生産者。農業、漁業、畜産業など「食」をスタートさせる人々です。
これらは細分化され、ブランドと呼ばれる希少性の高い物を生産する人、人々の日常を支える最大多数の生産を支える人、
これら生産者の前側には、生産者を支えるために、より安全に、より便利にと品種改良などの研究をする人がいます。
さらに生産が安定するように、天候や海流など地球環境の変化を日夜調べ、研究をし情報を提供するする人がいます。
また、生産者の後ろ側には、生産者の想いを届ける運送に代表される物流の人がいて、より安全に、より快適にモノを動かすための駆動やシステムを作る人がいます。
そして生産されたものは、市場の人々の手を通して、小売りの人々の手へと届けられ、それを使い調理する人々の手を通して、
最終完結者である人々(食べる人)へと繋がっています。
「食」は、商品や商売のためにだけ、存在してはいません。
元気になるために、必死に「食」と向き合う人がいて、それを支えるたくさんの人々がいます。
命の最前線の看護や介護の人々の「食」も、食通と呼ばれる享楽の人々の「食」にも、同じ「食」があるのです。
私たち(Y・F・B&サンカントサンク)の「食」との関わりは、調理・料理という形で社会との繫がりを持つためにあります。人々の生活の根幹の一翼を担う大切な「食」(職)です。
これまでの「食」との関わりの経験を活かし、「食の橋渡しの手助けを少しでもできれば」との願いから、
ヤマグチ・フード・ビジネスを展開させていきます。私とスタッフの同じ願いです。
ヤマグチ・フード・ビジネス立ち上げに寄せて。
代表 山口 成之
ヤマグチ フード ビジネスとサンカント・サンクのつながり
ヤマグチ・フード・ビジネス(Y・F・B)の代表である山口は料理人としてはちょっと異色の経歴を持つ料理人です。
高校卒業後、大阪の調理師学校を卒業し、当時の山來(ヤマライ)に就職しました。そして、様々な事情の中、若干20歳にしてシェ・ヤマライの調理場の責任者を任されることとなります。(当時を振り返り山口は「とんでもない料理を出していたと思う。」と言います。)
さらにその3年後、24歳の時にシェ・ヤマライの全ての差配をする責任者(経営者)になります。(さらに当時を振り返り山口は「ただただ無謀だった。」と言います。)以来30年余り。ヤマライを守り続けてきました。その間、縁あって「広島酔心調理・製菓専門学校」の校外講師として教壇に立つこととなり、こちらの方も25年弱続けており、山口を師と仰ぐ多くの料理人がいます。
友人である「サンカント・サンク」の藤野氏との出会いは20代後半、広島市内で行われた若手料理人の料理コンクールに参加したのがきっかけです。
その後、藤野氏が30歳で独立。オーナーシェフとなります。それ以来同じ境遇を持つ仲間として、刺激し合い、競い合い、時に悩みを相談したりと、何時しか互いをリスペクトする友人となりました。
藤野氏はその後、料理との関わりを持ちながら他業種も広く経験しました。
そしてY・F・Bより先んじて「食の総合プロデュース・サンカント・サンク」を立ち上げました。
同じ志を持つ者としてこれまでの経験を活かし、料理を通じて広く多くの皆様のお役に立ちたいと思っています。
互いの得意分野を伸ばし、不得意なところは補いながら少しずつ歩みを進めてまいります。何なりとご相談下さいませ。
ヤマグチ・フード・ビジネス(Y・F・B)&サンカント・サンク
合同会社 サンカント・サンク
はじめまして!合同会社サンカント・サンク代表の藤野豊です。私自身料理人でありオーナーとしてレストランの経営にも携わってきました。料理人になるきっかけは大学時代の飲食店でのアルバイト。お客様の笑顔、仲の良いスタッフ、ちょっと厳しいシェフに囲まれて過ごすひとときは私が料理人を目指すのに十分な環境でした。それから数十年、飲食業は本当に素敵な職業だなという思いは、未だに変わりません。
この経験を通じて得た様々な手法を活用して、皆さんの夢の実現に貢献したい。これが私達の思いです!
合同会社 サンカント・サンク 藤野 豊